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久しぶりの更新です。
3月11日の震災によって、周辺の状況が一変してしまいましたがやっと生活が落ち着いて来ました。
心身的にも落ち着いて来たので、震災当日の事を書こうと思います。
私は宮城県仙台市の沿岸部に近い所に住んでおります。
震災当日自宅におりましたが、地震発生後防災警報が鳴り、大津波警報が発令されたとアナウンスされていましたので
近くの避難所(小学校)に家族と避難をしました。
正直、津波は本当に来るのか半信半疑で避難しましたが、避難所の小学校に着いた途端、周囲の人が「津波が来ているから早く屋上に上げれ!」と叫んでいました。
急いで小学校の屋上に上がると、遠くの方から津波が押し寄せてくるのが見えました。
目を凝らすと、津波と共に瓦礫や木材等がすごい勢いで流れおり、逃げようとしている車を飲み込んでいました。
避難していた周囲の人も、パニックからか泣き叫んだり、もう終わりだと嘆く方もいました。
幸い、避難所近辺は周辺より多少高い所だった為、津波の勢いは止まり、膝下くらいの水位で収まりました。
その後、天候が一気に悪くなって吹雪になり、屋上では寒い為、教室に入ることとなりました。
自宅が心配になりましたが戻れる状態ではなく、避難所にて一夜を過ごすことにしました。
避難所の小学校には、お年寄りから小さい赤ちゃん、ペットの犬等、かなりの人が避難しており、教室だけでなく、廊下まで人が埋め尽くされた状態でした。
夜は、ペットボトルの水1本と、非常食(お菓子のリッツと思われる物)が配給されましたが、それを食べると、ちょっと気分が落ち着き、少し安心した記憶があります。
夜は、余震が続き、余震がある度に、泣き叫ぶ声が聞こえ、一時間おきに、防災無線のスピーカーから津波警報のアナウンスが鳴っており、心が休まる時はありませんでした。
一睡もできないまま、夜が明け、津波も引いたので、家族を避難所に残らせて自宅を見に行きました。
自宅へ戻る途中は、信じられない光景ばかりでした。
ひっくり返った車、瓦礫の山、道路は泥だらけで、まともに歩くことさえできない状態・・・。
あったはず物が無い、また、あるはずの無い物があるという、まったく別の場所に来たような感覚です。
幸い、自宅周辺は被害が少なく、浸水は免れましたが
自宅前にはどこからか流されて来た多種多様な物が散乱していました。
ドカンやコンテナ、家の屋根の一部と思われる木材、車も流れて来ていたようでした。
数十メートル程歩いた場所では、1階の半分が水没している場所もあった為
ちょっとした土地の高低の差や、家が密集していることによって、被害が少なくなったようでした。
自宅が大丈夫だった為、その日から自宅にて生活をしました。
今回の震災では自宅が大丈夫だったことが、本当に不幸中の幸いでした。
10日間程度停電だったことや、物資調達はかなり大変でしたが
家族を失った方、家を流されてしまった方もいた事を考えると、恵まれていたと思います。
それにしても、震災当日の記憶は今でも詳細に覚えています。
受けたショックが相当大きかったんでしょうね・・・。
記憶しているというよりは、脳に刻印されたという感じです。
もう2ヶ月以上経ちましたが、少し大きい地震が来ると当時の事を思い出してしまいます。
現在も多数の方が避難されておりますが、一日でも早く復興することを祈っております。
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